[上重聡]日テレ本当の退社理由は?ダウンタウンDXで語った収入。盟友?松坂大輔との関係は?

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今回は、ダウンタウンDX★新世代フリーアナのぶっちゃけSP!仕事&収入を大公開!にて個性的な魅力を披露した上重聡 元日テレのアナウンサーについて調べてみました。

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今年の3月末に日テレを退社した直後は、スケジュールスカスカだったと告白している上重聡アナですが、退職理由に関しては、新しいチャレンジがしたくなった。との事で、至って円満退社だったと、松坂大輔のYouTubeチャンネルで明かしています。

なんと、上重聡アナは小学2年から野球を始め、高校野球の名門PL学園でエースピッチャーとして活躍、小・中ともに全国大会優勝を経験した野球人でもあったんです。

松坂大輔との関係

PL学園時代エース投手として活躍。1998年の第70回選抜高等学校野球大会では、同級生の大西宏明や平石らと、準決勝で松坂大輔を擁する横浜高校と対戦して敗北
同年の第80回全国高等学校野球選手権大会準々決勝で再び横浜高校と対戦するも延長17回の末(先発は稲田、上重自身は7回から登板)敗れている。

立教大学進学後も野球を続けて、東京六大学リーグ戦通算成績は、30試合登板、9勝3敗、防御率2.31。

松坂大輔さんとは盟友のようで、フリーになってすぐに松坂大輔YouTubeチャンネルに出演していることから、関係性の深さが窺えます。

日テレアナウンサー時代

2003年に日本テレビへ入社。
同期入社のアナウンサーは、鈴江奈々、森麻季、右松健太、望月浩平。
入社後は、主にプロ野球をはじめとするスポーツ中継を担当し、2007年から2008年まで放送された東京六大学野球リーグ戦の中継でも実況を担当。

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不祥事

2015年4月2日発売の『週刊文春』で、前年2014年に自宅高級タワーマンションを購入した際、スポンサーのABCマートの創業者・三木正浩から1億7000万円と多額の融資を無利息での利益供与を受けていたほか、社員就業規則にある「自家用車での通勤を禁止する」にも違反し、三木正浩の資産管理会社が所有するベントレーを無償で借りて乗り回していたことが発覚。
同日にこの件について謝罪のコメントを発表し、3日の『スッキリ!!』番組開始直後に「大変申し訳ありませんでした」と改めて謝罪。

これが退社理由かと一部では騒がれていたが、あまり関係はなさそう。

ちなみに借金はすでに2015年9月に全額返済済みだそうです。1年で返済しているとはなかなかですね!

上重聡 現在のプロフィール

生年月日 1980年5月2日(43歳)

出身地 大阪府八尾市

出身校 PL学園高校―立教大学コミュニティ福祉学部卒業

特 技 料理、野球、ゴルフ

2003年に日本テレビに入社、『ズームイン!!サタデー』や『Going! Sports&News』などの司会を務め、『スッキリ!!』の司会に抜てき。
14年にORICON STYLEが発表した『第10回 好きな男性アナウンサーランキング』では、首位になった同局の桝太一アナに次ぐ2位にランクイン。翌15年のランキングでも5位に入っている。

フリーアナウンサーは儲かるのか?

日本のフリーアナウンサーの平均的な年収は、 約700万円と言われています。

しかし、フリーアナウンサーの年収は、 知名度や人気度、仕事量 によって大きく異なります。

例えば、超人気フリーアナウンサーであれば、 1億円以上 の年収を稼ぐ人もいます。
一方、なかなか仕事に恵まれないフリーアナウンサーの場合、 年収100万円以下 になることもあります。

ダウンタウンDXの番組内で森香澄さんは年収3,000万円超え?と予測されていたり、
国山ハセンさんは3時間の司会で3桁万円。などと発言されており、人によってはとても稼げる職種のようですね。

しかし、上重聡アナは、「5月はほぼゴールデンウィーク」だったらしく心配ですが・・・笑

上重聡アナに関しては独立したばかりという事もあるでしょう。

彼の得意な野球やスポーツなどのお仕事がこれからたくさん舞い込んで来れば、田中大貴さんみたいにたくさんのスポーツ実況で活躍されるかもしれません。

キャラクターは面白いし、声も聞きやすい声をしているので、これからに期待と注目です!

なお、上記はあくまで目安であり、個々のフリーアナウンサーの状況によって年収は大きく異なることをご了承ください

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興味深い著作もあります。
上重聡さんを応援したくなった方は是非Amazonでチェックしてみてください。


怪物と闘ったPLのエース 壁と挫折の連続だった私の野球人生

桑田真澄、前田健太推薦!

 PL学園時代にエースとして春夏甲子園に出場し、怪物・松坂大輔と延長17回に及ぶ死闘を演じたことや、立教大学時代に完全試合を達成したことをご存知の方は、私がずっとエリートとして順風満帆な野球人生を歩んできたと思われている方が多いように思う。
 だが、実はそうではない。
 小中時代はずっと二番手の投手で、埋めようのないエースとの実力差に荒れた時期もあった。
 PLに入ったとき、同学年の投手の中では6番目の評価で、寮生活の厳しさや苦しさや悔しさに、何度も人知れず涙を流した。1年夏には名門PLの投手として、甲子園のベンチ入りを果たすという栄誉に浴しながら、2年夏は屈辱のメンバー外。私はスタンドで応援する立場だった。
 そして、松坂大輔という怪物に出会ったときに感じた、圧倒的な敗北感。
 大学では、常に松坂と比較され、あまりにも重い“延長17回”の十字架に耐え切れず、心は病んでいった。イップスになって投手クビの宣告をされ、初めて両親の前で「野球を辞めたい」と号泣した。その後は野次にさらされながら、外野を守っていた。
 復活して2年秋には完全試合を成したが、その後イップスを再発して、右肘じん帯を損傷。4年生ではキャプテンに任命されながら、1年間ほとんど試合に出ることはなかった。
 私の野球人生は、壁と挫折の連続だった。(本文より)

 いま初めて語られる、上重聡の真実――。

 野球を辞めた真の理由や、松坂世代との知られざるエピソードも満載!  野球に対する考え、指導方法、教育や子育て、壁に直面している将来ある選手たちや保護者の方々へのメッセージなど、盛り沢山の内容!

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