2026年7月28日、FIFAが新しい会社をつくると発表した。
W杯を含む主要大会の商業権をまとめて移す器で、評価額は200億ドル。
その約20%を42億ドルで外部の投資家に売る、という計画だった。
三日後、計画は消えた。
この三日間に、世界のサッカー協会211のうち少なくとも143が「反対」の側に回った。
上級顧問が辞め、COOは「欺かれた」と述べた。
そして会長は、アメリカ大統領に電話をかけ続けたと報じられている。
本稿はその顛末である。
あわせて、11月23日という日付の話をする。
なお、本稿から文体が変わる。理由は最後に書く。
2026年7月31日、撤回。
その間に費やされた日数である。
42億ドルという値札
新会社の名は FIFA Forward Enterprise(FFE、W杯の商業権を持つ新設子会社)という。
W杯とその周辺事業をまとめて一つの会社に入れ、その持分の約2割を売る。
買い手として名前が挙がっていたのが Thrive Eternal(スライヴ・キャピタルがスポーツ資産向けに設けた投資部門)である。
42億ドル。
1ドル160円で換算すると、およそ6700億円になる。
この額がどれくらいかというと、FIFAが4年間で稼ぐ放映権収入とほぼ同じである。
つまりFIFAは、放映権を4年分まるごと売るのと同額を、持分の売却で調達しようとした。
助言役にはJPモルガンがついた。
ブルームバーグによれば、この構想はインファンティーノ会長とジョシュ・クシュナー氏の私的な話し合いから前年に生まれたとされる。
ここで一つ、先に断っておきたいことがある。
ジョシュ・クシュナー氏は、ジャレッド・クシュナー氏の弟である。
ただし本人に現政権との政治的なつながりはなく、直近の政治献金先はオバマ財団だと報じられている。
スライヴはオバマ政権でホワイトハウスの製品責任者を務めた人物を採用してもいる。
「弟だから政権案件だ」という書き方は、事実で反論される。本稿ではその筋をあえて採らない。
では、なぜFIFAは外の金を必要としたのか。
史上最も儲かった大会の、直後に
ここが最初の引っかかりである。FFEの発表は、W杯2026が終わってわずか9日後だった。
そしてその大会は、FIFA史上最も儲かった大会だった。
どれくらい儲かったのか。ここは報道が割れている。
北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)は約120億ドルと述べ、ESPNは4年サイクルで少なくとも130億ドルと報じ、米メディアの一部は150億ドルという数字を使っている。
数字が揃わないのは、単位が揃っていないからである。
「大会単体の収益」「4年サイクル全体の収入」「事前の予測値」が、報道によって混ざっている。
どの数え方をしても、過去最高であることは変わらない。
参考までに、2015〜18年のサイクルは64億ドル、2019〜22年は75億ドルだった。倍近くになっている。
賞金も跳ねた。
2026年大会の賞金総額は6億5500万ドル。カタール大会の4億4000万ドルに対して、約1.5倍である。
日本円でおよそ1050億円が、選手とチームに配られた計算になる。
だからCONCACAFはこう問うた。
史上最も利益の出た大会の直後に、なぜ民間資本が必要なのか、と。
会長は、その問いに答える代わりに、飴を配った。
4000万ドルという飴
7月29日、インファンティーノ会長は211の加盟協会に書簡を送った。
承認期限は9月19日。賛成すれば、各協会に最大4000万ドルを配るという内容だった。
内訳は、一度きりの特別配分が2000万ドル、2027〜30年サイクルの通常の開発資金が2000万ドル。
合計で約64億円が、一つの協会に渡る計算になる。
書簡には比較も添えられていた。
12年3サイクルで見れば総額は約8600万ドルになる、自分が当選する前の同じ期間には300万ドルだった、と。
28倍である。
そして書簡には、飴の裏側も書かれていた。
承認されれば総額100億ドルの資金パッケージが組める。否決されれば27億ドルしか用意できない、と。
3.7倍の差である。賛成に丸をつけるだけで、自国に入る金が3.7倍になる。そういう文書が、211通送られた。
イングランドサッカー協会は「この提案をまったく知らされていなかった」と述べている。
ところでこの「27億ドル」という数字には、続きがある。有料版で書く。
三日で崩れた

飴は効かなかった。
7月30日、欧州サッカー連盟(UEFA)の加盟55協会が全会一致でFIFA大会のボイコットを決議した。
同じ日、CONCACAFの41協会が提案を拒否し、アジアサッカー連盟(AFC)が連帯を表明した。
三つの連盟を足すと143。
211の過半数である106を、大きく超えている。
7月31日、FIFA上級顧問のカルロス・コルデイロ氏が辞任した。
「FIFAがW杯の持分を売るのを黙って見ていられない」という趣旨を、自身のSNSに残している。
FIFAのCOOは職員が「欺かれた」と述べたと報じられた。
そして同日、インファンティーノ会長が撤回を表明した。
米国時間で7月31日、地域によっては8月1日として報じられている。
ここで一つ、注意して読みたい箇所がある。
撤回の声明で、会長は「この提案は進めない」と述べた。分断を生んだから、という理由も添えた。
しかし「間違いだった」とは、一度も言っていない。
一方、UEFAがボイコット決議で求めていたのは
「FFEが完全に放棄され、FIFAが二度とガバナンスや大会を私的所有に開かないという拘束力ある保証」だった。
求められたのは保証、返ってきたのは中止。この差は、後で効いてくる。
孤立した会長は、このあと誰に電話をかけたか。
関係資本は、いざという時に使えたのか
前回までの2本で、私はこの会長を「関係資本の人」だと書いた。
思想でも信条でもなく、金と権力とアクセスのあるところに吸い寄せられていく人だ、と。
カタールにも、サウジにも、そしてトランプ大統領にも。
その資本が、試された週である。
ニューヨーク・ポストが8月3日に報じたところによれば、インファンティーノ会長は構想が崩れた金曜以降、トランプ大統領に繰り返し電話を試みたが繋がらなかったという。
報道の洪水のなかで「孤立している」と感じていた、とも書かれている。
同紙はさらに、代わりにマルコ・ルビオ国務長官との通話が設定されたと報じた。
関係者の証言として引かれたのは、サッカーがアメリカにとってどうソフトパワーになりうるかを話したがっていた、という趣旨の言葉である。同じ関係者は、実際には職の保全の話だとも述べている。
ただし、この報道には否定がついた。
米国務省のグローバル広報担当次官補ダイラン・ジョンソン氏はXで、ルビオ長官がインファンティーノ氏と話す予定はなく、その朝の通話も存在しないと投稿した。
FIFA側も、閣僚との通話予定はなく報道は誤りだと述べている。
ここは一社報道であり、公式には否定されている。だから断定はしない。
そのうえで、否定の射程だけは書いておきたい。
国務省が否定したのは「ルビオ長官との通話」であり、FIFAが否定したのも「閣僚との通話」である。
会長が大統領に電話をかけて繋がらなかった、という部分については、記録に残る形で否定した当事者がいない。
その後の一週間は、こう流れた。
8月5日、モロッコのラバトで危機会合。
FIFAは211協会に謝罪の書簡を送り、進め方が違うべきだったと認めた。
同じ日、カナダのカーニー首相が「信任していない」と述べ、上級顧問に相談しなかったことを致命的なガバナンスの失敗と呼んだ。
8月8日、FIFAは反撃に転じる。
一部による意図的かつ継続的な弱体化の試みがある、という趣旨の声明を出した。
そして8月10日の朝、UEFA・CONCACAF・AFCの3連盟が共同で公開書簡を出した。
会長を名指しせずに、こう書いている。サッカーは、いかなる個人のものでもない、と。
書簡は謝罪についても触れ、意思疎通の失敗として扱われているが、実際に起きたのは判断の失敗だったと述べた。
その日の夜、トランプ大統領が自身のSNSに投稿した。
FIFAが何らかの理由でインファンティーノ会長の交代を検討することさえあれば、それは重大な誤りになる。彼は素晴らしい。彼がいなくなれば、二度とあれほど成功も収益化もしない――
10日近く沈黙したあとの、公開の擁護だった。
個人が助けを求めたときには動かず、機構が動いたときに動いた。そう読める並びである。
断定はしないが、日付は四つとも公開情報である。
ちなみにFIFAは、加盟協会に対しては政府の介入を厳しく制裁してきた組織である。
協会の運営に政治が口を出せば、資格停止もありうる。
今回のそれをどう位置づけるのかについて、FIFAからの説明は出ていない。
では、この件を裁く場所はどこにあるのか。
消えた構想と、残った日程
裁く場所の話をする前に、片付けておきたいものがある。
7月30日、つまりUEFAがボイコットを決議したのと同じ日に、FIFAはもう一つ別の文書を配っていた。
「W杯の64チームへの拡大の可能性」と題された調査ブリーフである。
2030年大会を、48チームから64チームに増やす。その是非を外部の調査機関に検証させるという内容だった。
問題は日程である。応募の締切は8月7日、機関の選定は8月14日、分析の納品は9月11日。
9月11日は、FFE承認の期限だった9月19日の、8日前にあたる。
大会を大きくすれば、商業権の価値も上がる。二つの日程が並走していたことをどう読むかは、読者に委ねる。
そして構想は消えたが、この日程だけは生きている。8月14日の選定について、現時点で公表された報道はない。
外部コンサルを1社選ぶ内部手続きなので、社名が表に出ない可能性もある。
64チーム化を強く求めてきたのは、南米サッカー連盟(CONMEBOL)である。
同連盟は、会長を性急に退かせる動きには賛同しないとも表明している。
先ほどの「求められたのは保証、返ってきたのは中止」を、ここで思い出したい。
扉は閉まったのではない。今は、押さえられているだけである。
106票の設計図
倫理委員会も、国際オリンピック委員会も、米議会も、この件については動いていない。理由はそれぞれ違う。
詳細は有料版に譲る。
結論だけ書けば、残っている実効手段は一つしかない。票である。
その日程が、これから並ぶ。

ここで一つ、規定の話をしておきたい。会長選に立候補するには、加盟協会5つ以上の推薦が要る。
そして各協会が正式に指名できる候補は、1人だけである。
つまり、インファンティーノ会長を推薦した協会は、対抗馬の資格取得を手伝えない。
先に推薦状を集めておけば、挑戦者は構造的に出にくくなる。
会長側は200を超える推薦を得ていると説明してきた。ただし推薦状に拘束力はなく、撤回できる。
実際、7月末以降にフィンランド、ウェールズ、スウェーデン、セルビアが相次いで撤回している。
イングランドも撤回の見通しと報じられた。
一方で、アフリカサッカー連盟の54協会とオセアニアの11協会は、支持を表明している。
メキシコとアルゼンチンも会長側についた。
2026年大会の共催3か国のうち、アメリカとカナダは共同書簡を支持し、メキシコは会長を支持した。
同じ大会を一緒に開いた三者が、割れている。
数えるべき数字は、106である。
換金できなかった資本
ここまでを、一つの見立てにまとめる。
FFEは、関係資本を現金に換える試みだった。
10年かけて積み上げた各国協会との関係、中東との距離、大統領との近さ。それらを担保にして、42億ドルを引き出そうとした。
そして三日で潰れた。
参考までに、この構想を主導するはずだった投資部門は、撤回の12日後に別の買い物を成立させている。
NBAのロサンゼルス・レイカーズを125億ドルで取得した。北米プロスポーツ史上最高額である。
同じ器が、片方には拒まれ、片方には迎えられた。違いがあるとすれば、レイカーズには売り主がいたことである。W杯には、いなかった。
誰の私有財産でもないものは、誰にも売れない。今回引かれたのは、たぶんその線である。
ただし前述のとおり、その線が消えない保証は、まだ誰も与えていない。
ところで①の記事で、Netflixの『メヒコ 1986』に触れた。
コネも権力もない男が、ハッタリと話術だけで1986年W杯の開催地をかっさらう実話ベースの作品である。
1986年は、ハッタリで開催地が取れた。2026年は、42億ドルを積んでも持分が買えなかった。
値上がりしたのは、たぶんハッタリの方である。
最後に、文体の話をする。冒頭で「理由は最後に書く」と書いた件である。
①と②は「です・ます」で書いた。
今回だけ「である」で通した。崩れていく話を楽しげな語尾で書くのは、どうにも据わりが悪かったからである。
ただ、①の末尾で私はこう書いている。
「思想も信条も一貫していない。あるのは”関係資本”の蓄積だけじゃないか」と。
三本目で語尾を変える人間が言えたことではなかった。次回はまた「です・ます」に戻すかもしれない。
一貫性がないのは、お互いさまということで。
あわせて、倫理委員会・IOC・米議会という三つの受け皿がなぜ全部止まっているのか。トランプタワーの一室に払われた1日あたりの賃料と、招致提案書が約束していた決勝チケットの上限価格。数字と固有名詞を伏せずに書いた。
よくある質問
- QFIFA Forward Enterprise(FFE)とは何ですか?
- A
FIFAが2026年7月28日に設立を発表した新会社です。
W杯を含む主要大会の商業権を移す器で、評価額は200億ドル。その約20%を42億ドルで外部投資家に売却する計画でしたが、7月31日に撤回されました。
- Qなぜ各国協会は反対したのですか?
- A
W杯の商業権に外部の投資家が入ることで、収益最大化のために大会の規模や頻度が際限なく拡大するのではないかという懸念が中心でした。
加えて、提案の存在を事前に知らされていなかった協会が多く、手続きへの不信も大きかったと報じられています。
- Qインファンティーノ会長は辞任するのですか?
- A
2026年8月時点で辞任の意向は示されていません。
焦点は11月23日の臨時総会で、不信任の議題が載れば投じられた票の単純多数で職を失う可能性があります。2027年3月18日にはモロッコ・ラバトで会長選挙が予定されています。
- Q2030年W杯は64チームになるのですか?
- A
決定していません。
FIFAは外部の調査機関に是非を検証させる方針で、分析の納品期限は2026年9月11日とされています。
南米サッカー連盟が拡大を強く求める一方、欧州の主要リーグは統治改革が先だとして反対しています。
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